小川山岡鉄舟会趣旨
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  小川山岡鉄舟会活動の記録一部
「小川町と鉄舟のかかわり」について
【1】 山岡鉄舟について
【2】 割烹旅館二葉の名物「忠七めし」について
【3】 小川の書や幟旗について
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現在の鉄舟の取り上げられ方
「現在の鉄舟の取り上げられ方」、特に江戸城無血開城に関しては、公には勝海舟の功績になっていますので、会員の皆様が一番関心のあるところではないでしょうか。

私たち鉄舟ファンに取りましては、江戸城無血開城はなんと申しても鉄舟がいたればこそ成しえたもので、決して勝海舟の偉業ではないことは周知の事実として受け止めています。

しかし、皆様もご存じの通りほとんどと言っていいほど、勝海舟と西郷隆盛が主役になり鉄舟は脇役になっています。

ある本を見ますと「勝海舟・江戸開城と彰義隊の戦い」となり内容は読まずとも何となく察せられます。
まず勝海舟については、鉄舟と西郷との静岡での会談は勝のシナリョウで、鉄舟を派遣し益満を同行させ、ネゴシエイターとしての勝をクローズアップさせています。読む者にとって圧倒的な写真と資料でそれは裏付けされているかのようにうつります。ビジュアルはとても効果的です。

あることを知りたいのだが、そんなに深く知らなくて、うわべだけでよいというとはままあります。ほとんど知らないのですから、一応そこに書いてあることを信用して、知識とします。結構そのことが、影響するように思います。江戸無血開城について知りたい人が、この本を読めばなるほどしかじかで、勝海舟は偉い者だということになるのでしょう。鉄舟のことも比較的に詳しく書いてありますが、物足りません。

手元にもう一冊の本があり、ここでも基本的には勝が主導権をとっている。種本とまとめている方が一緒なので致し方ないのかとは思います。そこに新たに登場しますのが「篤姫」です。今NHKの大河ドラマで放映されていますので、ご覧になられているかたも多いと思います。このドラマは人気がありますので、取り上げるのがグッドタイミングなのでしょう。ここでも篤姫の手紙などを公開し、新説を説いています。篤姫が徳川家の存続に決定的な役割を演じたとしていることは編者としましては、得意のところなのでしょう。私は、実際篤姫の手紙を見たのは初めてなので、大変勉強になりました。西郷は静岡における鉄舟との会談の時に「静寛院宮」(皇女和宮14代将軍家茂の奥方)、「天璋院」(篤姫、13代将軍家定の奥方)の使者が来たことは認めていますが、ただ萎縮しているだけでらちがあかなかったと言っています。 しかし鉄舟についてはやはり物足りません。

さて、西郷が鉄舟と静岡で談判しましたときに、西郷は5の降伏条件を出しましたが、このようなことがすぐに決められたかと以前から少々疑問に思っておりましたところ、「大久保利通文書」と言う本のなかで、このように伝えています。
慶応4年2月の日付で大久保が創案した意見書があり、要約しますと

1. 慶喜の恭順が、事実なら、寛大の思し召しをもって、死を免ずる。

2. 慶喜は備前藩に預ける

3. 城明け渡しのこと。軍艦・鉄砲など武器はもちろん全て渡すこと。

以上の3ヶ条を以て、朝命を早々に実行をし、聞き入れなければ、官軍をもって総攻撃するしかない。
との内容です。あくまでも推測ですが、2月の段階で、西郷、大久保、岩倉など、官軍の最高指導者の間で合意ができていたもようであります。これで謎が少し解けたように思います。3月15日が江戸総攻撃のXデーで、西郷と鉄舟の会談は3月9日です。西郷も10日に静岡を発ち12日に江戸に入り、13.14日は江戸での会談です。鉄舟は図らずもぎりぎりのかつ絶妙のタイミングで西郷と会ったことになります。そのことで慶喜の恭順や江戸の様子がハッキリし、鉄舟の死を覚悟の訴えに西郷が感服し、江戸城明け渡しの条件が受け入れられました。やはり鉄舟でなければなりませんでした。それに慶喜を江戸城から出し寛永寺で謹慎させた勝海舟の考えは(勝だけではないのですが)、卓見だったのですが、これしか方法がなかったのかもしれません。西郷は勝を意識して鉄舟と談判したのだと思います。再前提は慶喜恭順ですから。

尚、江戸での勝と西郷の会談には鉄舟が同席しています。それは、西郷が鉄舟に頼んだようです。

このようなエピソードがあります。
鉄舟が、勲功調査の呼び出しに応じて宮内省へ赴いてから2.3日後。鉄舟の弟子の松岡万が、勝の勲功口述(勝は、江戸無血開城は自分の指示で全て行われたと報告した)の一件を聞き大いに憤り「勝を始末する」と息巻き大騒動を引き起こそうとしたとき。これを鉄舟が感知し彼らに「私は最初から功名に用はないから、それは勝にやるつもりである。ところが貴公達に騒がれてはそうはいかなくなる。つまり、世間からは私と勝との功名争いと見なされる。まあ、こんなことは天に任せて人間は手出しをしないほうがいいのだ」と諭したそうです。

このように鉄舟が認めたことですので、私たちもその思いでまいりますが、この江戸無血開城の事実を伝えるのも私達の使命のようにも思います。こつこつと進んでまいりましょう。気がつけば、この事実が花開くときがあるように思います。

それよりも無私・無欲で公正なリーダーとしての鉄舟を今の日本は必要としているように思います。