「小川町と鉄舟のかかわり」について Ⅲ

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【3】小川の書や幟旗について

山岡鉄舟の書は、二葉をはじめ小川町の多くのお宅に残っており、平成3年に小川町で鉄舟の書の展覧会を開催しましたところ100点余りが集まりました。二葉所蔵の一部をご覧ください。
また、鉄舟は小川町に数枚の幟旗を残してくれています。

1. 白鳥神社(小川町の文化財)
鉄舟が幟に直接揮毫したもの。大変大きな布なので、筆などはなく、わらみごを束ねて筆代わりにして、返すとことなどは足で蹴飛ばして書いたといわれています。写真のように現存していますが、かなり傷んでいますので早急な修理が必要です。

山岡鉄舟の白鳥神社(左)・木呂子の幟旗(右)(町指定)
ともに明治13年(1880)山岡鉄舟によって揮毫きごうされたものです。
白鳥神社の幟旗は大祭に際し綿布めんぷ3枚を縫い合わせた幟に直接揮毫したもので、「鴻澤霑民庶」「英霊鎮国家」と記されています。木呂子の幟旗は、旧木呂子村の参道に立てるために、和紙に直接揮毫したもので、「天得一以清」「地得一以寧」と記されています。 鉄舟は、父小野朝右衛門が木呂子村の知行主だったため、小川周辺に幾度となく通ったと伝えられています。

2. 吉野神社(小川町の文化財)
白鳥神社の幟を見た人々が是非鉄舟に頼みたいと揮毫してもらったもの。こちらは和紙に書かれ、現在小川の図書館に保管されています。

3. 飯田神社
白鳥神社の幟をコピーし、年号だけ鉄舟に書いてもらったと思われる。

4. 東照宮
白鳥神社の幟をコピーし、年号だけ鉄舟に書いてもらったと思われる。
   
5.東秩父村について
小川町の隣村ですが、埼玉県で唯一の村です。この村の八幡台神社にも
鉄舟の幟が残っていて、吉野神社の幟をコピーし、年号だけ鉄舟に書いてもらったと思われる。

このように鉄舟は小川町にいろいろな遺産を残してくれました。これから詳しく調べると面白い逸話などが聞けるのではないかと楽しみです。新しい事実がでましたらブログでお知らせしていきたいと思います。

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