小川山岡鉄舟会 入会のご案内

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若き日の鉄舟 山岡鉄舟と小川町


 
小川町竹沢地区は鉄舟の父小野家の知行地であったため、鉄舟はこの地を度々訪れていたようです。それを裏付けるかのように小川町には鉄舟の壮年から晩年にかけての書が幅広く残っております。
 
また、明治維新後小川の和紙を何とか広めたいとの気持ちから小川の成川忠次郎(鉄舟の門下)が当時大変人気があった東京の森田宝舟堂の常備薬「宝舟」の包み紙としてもらうべく尽力しておりましたが、鉄舟の仲介でみごとに成就し、長い間使われていたようです。現在当館には当時宝舟用に透かしを入れるために使用した和紙の簀が残っております。
 
しかし、小川町は鉄舟の歴史の表舞台には今まで登場してまいりませんでした。それは、鉄舟が心の故郷としてこの小川を愛していたため、小川町の存在をあえて公表しなかったのではないかと思われます。先年この地で「大鉄舟展」が開催され、百余点の鉄舟の書が公表されました。

二葉楼 山岡鉄舟について
 

本名は山岡鉄太郎といい、号を鉄舟と申します。そして、剣・禅・書に熟達されたまれにみる人物でありました。父幕臣小野朝右衛門高福(六百石取りの旗本)、母鹿島神宮の社人塚原香年の娘磯との間に天保7年(1845年)6月10日、江戸本所に生まれました。

15歳の時に弘法大師の流れをくむ入木道五十二世の伝統を受け継ぎました。書は依頼が多く多い日には1日千枚以上書いていたようです。写 経は欠かさず、死の前日まで行っておりました。

<剣>9歳の時より剣の道に志し、久須美閑適斉に真影流を学び、その後井上清虎の門の入り、北辰一刀流を学びます。17歳の時父の逝去により江戸に出て、文武の道に研鑽しました。この頃より剣の修行は厳しさを増し「鬼鉄」「ボロ鉄」と言われておりました。
 
20歳の時に請われて槍術の師、山岡静山(高橋泥舟の兄)の妹英子と結婚して山岡家の養子となります。その後、さらに一刀流を極めんと浅利義明に学ぶこと数十年、明治13年3月30日(45歳)大悟し、元祖伊藤一刀斉のいわゆる一刀流無想剣の極意を得、これより無刀流を開きます。

<禅>禅は13歳のころより志します。参禅は、埼玉県芝村(川口)長徳寺・願翁、静岡県沢地村(三島)龍沢寺・星定、京都相国寺・独園、同嵯峨天龍寺・適水、鎌倉円覚寺・洪川の五和尚に参じ、ついに天龍寺・適水和尚の印可を得ました。

<業績>最大の業績はなんと言っても「江戸城無血開城」の道を開いたことです。慶応3年3月15代徳川慶喜公の使として命懸けで駿府(静岡)の馳せて、西郷隆盛と直談判して、事実上朝幕の話合いの下地を作りました。その後、西郷隆盛と勝海舟の会談がもたれ江戸城無血開城となり江戸が戦火から免れるのです。
忠七めしの釜と讃

<命も金も名誉もいらぬ男>後日、西郷は鉄舟を評してこういっております。

「さすがは徳川公だけあって、エライお宝をおもちだ。山岡さんという人は、どうのこうのと言葉では言い尽くせぬ が、何分にも府の抜けた人でござる。イヤ命もいらぬ、金もいらぬ、名もいらぬ 、といったような始末に困るひとですが、但しあんな始末に困る人ならでは、お互いに腹を開けて、共に天下の大事を誓い合うわけには参りません。本当に無我無私の忠胆なる人とは、山岡さんの如き人でしょう。」

<その後>鉄舟37歳の時、西郷隆盛、岩倉具視氏の懇願により明治天皇の侍従となり10年間勤めました。その間天皇の親任は大変厚かったそうです。その後、元老院議員等の要職を歴任し、明治21年7月19日座禅のまま大往生をとげました。その遺骨は自ら建立しました東京都台東区谷中の「全生庵」に埋葬されております。

【小川山岡鉄舟会】入会のご案内

明治維新がほとんど流血を見ずに成立したことは、世界史のなかでも特筆すべき出来事ですが、それを成立させた大きな理由のひとつに、山岡鉄舟の存在があげられます。
 
山岡鉄舟は幕臣でありながら尊王攘夷に動き、西郷隆盛と勝海舟の江戸城明 け渡しの会議を成立させ、江戸城無血開城の道を拓き、江戸を戦火から救いました。まさに、今日の日本をつく りあげた立役者の一人ともいえます。
 
しかし、山岡鉄舟は後世に名を残すことに無頓着であり、今では一般 に知られることも少ない人物です。
 
私たちは、山岡鉄舟の人となりを改めて考えてみたいと思い立ちました。命を懸けて行動した信念、多くの人物を感嘆させた人間としての魅力とその思想、21世紀に入り、私たちはどのように考え、行動すべきなのか、山岡鉄舟の生き方から学ぶことは、今の時代にこそ意義あることではないでしょうか。
 
皆様には、その意義をご理解され、ご参加いただきたくお願い申し上げます。

【名称】   小川山岡鉄舟会
【会長】   東京学芸大学 名誉教授 吉田鷹村(書家・鉄舟研究家)
【事務局長】  八木忠太郎(割烹旅館二葉)
【事務局所在地】  〒355-0328
            埼玉県比企郡小川町大塚32 割烹旅館 二葉内
【年会費】    3,000円
【活動内容】  ●会報 年3回発行
           ・作家神渡良平先生によるエッセイ
           ・会員の寄稿による紙面作り
        ● 交流会・セミナーなどのイベント

申込みは下記までご連絡ください

電 話 0493-72-0038
割烹旅館 二葉  八木忠太郎

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